2011年4月29日金曜日

先日の宋文洲さんのメルマガに「身外之物」と題して

先日の宋文洲さんのメルマガに「身外之物」と題して、
興味深い一文があったので、御紹介。


小さい時に父から少しお金のお話 聞いた物語


太陽が昇る場所には黄金がゴロゴロしている。そこには大鳥しかいけない。ある青年は大鳥に懇願した。『一度でいいから私をそこに連れていってくれないか。』大鳥は青年に言った。『夜明け前のわずかな時間に黄金が見える。太陽が地底から出てくる前に逃げないと焼けて死ぬ。声をかけたらすぐ私の背中に戻れるかい』。

『はい。少し拾えばいい』と約束した青年は袋を持って大鳥と太陽の地に飛んだ。一面に転がる黄金をみて青年は興奮して集めた。袋の底に少しだけ溜まった時だった。大鳥が『戻れ』と声を出した。

しかし、その時、青年の手が大きな金塊に届いた。彼はとてもその手を引けなかった。彼はその重い金塊を袋に入れた。

その瞬間、大鳥は飛んでいった。青年は焼けて灰になった。袋と共に。

父はこの物語を通じて私に「身外之物」という言葉を教えてくれました。命、健康、知識、智慧、能力などその人間の身体に付随したものが大事であり、それ以外のものをなるべく軽くみるという考え方です。そのほうが人生を楽にそして強く生きて行けるというのです。

今生きている日本人にとって「身外之物」を全て失う経験はなかなかありませんでしたが、今回の東日本大震災では多くの方々がその経験をすることになりました。また、自らその経験をしなくても、今回の震災で「身外之物」を如何に簡単に無くせるかはよく分かったと思います。

「身外之物」を全部なくしても、数年後には元通りに回復しなくても、別な発想に基き別な形をする「身外之物」に囲まれることになります。命とそれに付随しているものが必ず「身外之物」を作ってしまうのです。経験に基くもっと良いもの、もっと進化したものを。